親鸞の往生思想 | 長谷正當 | 学術講演 | 行信学報(37) 2023 | |
建長四年の『御消息』の「浄土のをしへ」について(2) | 天岸淨圓 | 研究論文 | 行信学報(37) 2023 | |
所被の機と伝道の心 | 星野親行 | 研究論文 | 行信学報(37) 2023 | |
真宗における「指方立相」に関する一考察 | 松本設 | 研究論文 | 行信学報(37) 2023 | |
「源空聖人私日記」著者についての一視点 | 藤末光紹 | 研究論文 | 行信学報(37) 2023 | |
近代の真宗伝道史の一考察 | 山田智教 | 研究論文 | 行信学報(37) 2023 | |
宗祖の信心仏性義に関する一考察 | 石山惠然 | 研究論文 | 行信学報(37) 2023 | |
ご親教「念仏者の生き方」について考える | 藤澤信照 | 研究ノート | 行信学報(37) 2023 | |
第111回 専精舎本講『尊号真像銘文』 | 梯實圓 | 講述 | 行信学報(37) 2023 | |
釈尊の「無師独悟宣言」にみる自力と他力 | 森章司 | 学術講演 | 行信学報(36) 2022 | |
『チッソは私であった』の著者・緒方正人の思想行動の「大転換」 | 平田厚志 | 研究論文 | 行信学報(36) 2022 | |
『西方指南抄』「十八条法語」の三心釈 | 藤末光紹 | 研究論文 | 行信学報(36) 2022 | |
『教行証文類』の文体論 | 河野悠玄 | 研究論文 | 行信学報(36) 2022 | |
存覚『六要鈔』における『浄土論』・『往生論註』の註釈について | 林龍樹 | 研究論文 | 行信学報(36) 2022 | |
第110回 専精舎本講『尊号真像銘文』 | 梯實圓 | 講述 | 行信学報(36) 2022 | |
『往生要集』撰述の意図 | 梯信暁 | 学術講演 | 行信学報(35) 2021 | |
「散善義」至誠心釈の「必須真実心中作」に施された親鸞の訓点の意義について | 藤澤信照 | 研究論文 | 行信学報(35) 2021 | |
「愚」の一考察(三) | 星野親行 | 研究論文 | 行信学報(35) 2021 | |
法本房行空上人の一念義序説 | 森本光慈 | 研究論文 | 行信学報(35) 2021 | |
『入出二門偈頌』世親章・曇鸞章訳註 | 吉尾真祐 | 研究論文 | 行信学報(35) 2021 | |
玄智撰『考信録』七巻本の成立過程に関する一考察 | 西村慶哉 | 研究論文 | 行信学報(35) 2021 | |
第109回 専精舎本講『唯信鈔文意』 | 梯實圓 | 講述 | 行信学報(35) 2021 | |
世親『浄土論』の所釈の経をめぐる諸問題 | 上野隆平 | 研究論文 | 行信学報(35) 2021 | |
教行信証撰述の願い | 一楽真 | 学術講演 | 行信学報(34) 2020 | |
建長四年の『御消息』の「浄土のをしへ」について | 天岸淨圓 | 研究論文 | 行信学報(34) 2020 | |
「愚」の一考察(二)-承前 聖浄二門を中心に- | 星野親行 | 研究論文 | 行信学報(34) 2020 | |
法本房行空上人の生没年とその墓-高野堂「行空上人の墓」をめぐって- | 森本光慈 | 研究論文 | 行信学報(34) 2020 | |
「真仏土文類」における「大悲の誓願」の解釈について-道隠師の挙げる根拠の検討- | 西村一樹 | 研究論文 | 行信学報(34) 2020 | |
『入出二門偈頌』五念門言及箇所の読解をめぐって | 吉尾真祐 | 研究論文 | 行信学報(34) 2020 | |
第108回 専精舎本講『唯信鈔文意』 | 梯實圓 | 講述 | 行信学報(34) 2020 | |
経典と仏説 | 藤田祥道 | 学術講演 | 行信学報(33) 2019 | |
親鸞聖人の往生思想論争をめぐって(その二) -『一念多念文意』における本願成就文の解釈について- | 藤澤信照 | 研究論文 | 行信学報(33) 2019 | |
「愚」の一考察 -研究の発端として-
| 星野親行 | 研究論文 | 行信学報(33) 2019 | |
法本房行空上人の生涯 -とくに波紋の問題をめぐって- | 森本光慈 | 研究論文 | 行信学報(33) 2019 | |
賢首大師法蔵の教学と「因果無二」について | W.ダニエル | 研究論文 | 行信学報(33) 2019 | |
〈三部経大意〉の研究 -諸本の関係とその特徴について- | 井上慶淳 | 研究論文 | 行信学報(33) 2019 | |
第107回 専精舎本講『唯信鈔文意』 | 梯實圓 | 講述 | 行信学報(33) 2019 | |
覚如における声明観形成の背景 | 山田雅教 | 学術講演 | 行信学報(32) 2018 | |
親鸞の名乗り考 | 山本攝叡 | 研究論文 | 行信学報(32) 2018 | |
親鸞の往生思想論争をめぐって(その一) -現生正定聚の意義について- | 藤澤信照 | 研究論文 | 行信学報(32) 2018 | |
信心仏性についての一考察 | 中西昌弘 | 研究論文 | 行信学報(32) 2018 | |
東国における叡尊教団の影響 -念仏の縁尽きた地と善鸞の呪符- | 長崎陽子 | 研究論文 | 行信学報(32) 2018 | |
別れの意識化 -「本寂上人日記」に見る天保二年の愛別離苦 | 大原誠 | 研究論文 | 行信学報(32) 2018 | |
法本房行空上人の研究序説 -『西方指南抄』の記名 | 森本光慈 | 研究論文 | 行信学報(32) 2018 | |
第106回 専精舎本講『唯信鈔文意』 | 梯實圓 | 講述 | 行信学報(32) 2018 | |
即身成佛いたしませう | 鈴木隆泰 | 学術講演 | 行信学報(31) 2017 | |
親鸞聖人『御消息』に見られる宗教的意義 | 天岸淨圓 | 研究論文 | 行信学報(31) 2017 | |
『歎異抄』構成論 | 山本攝叡 | 研究論文 | 行信学報(31) 2017 | |
称名破満釈における無明の義について | 藤澤信照 | 研究論文 | 行信学報(31) 2017 | |
性差を超える救い | 山上正尊 | 研究論文 | 行信学報(31) 2017 | |
『獲得名号自然御書』の考察 | 武田一真 | 研究論文 | 行信学報(31) 2017 | |
善導大師における『大品経』引用に関する一考察 | 松本設 | 研究論文 | 行信学報(31) 2017 | |
『浄土和讃』・『尊号真像銘文』における勢至讃文 -『首楞厳経』依用の思想展開- | 藤末光紹 | 研究論文 | 行信学報(31) 2017 | |
「真仏土文類」『涅槃経』引文について -結釈に再引された二文についての考察- | 西村一樹 | 研究論文 | 行信学報(31) 2017 | |
第105回 専精舎本講『唯信鈔文意』 | 梯實圓 | 講述 | 行信学報(31) 2017 | |
親鸞の妻について | 岡村喜史 | 学術講演 | 行信学報(30) 2016 | |
安心門と起行門 -『往生礼讃』前序の所説を通して- | 藤澤信照 | 研究論文 | 行信学報(30) 2016 | |
法本房行空上人の教学試考 -とくに寂光土義をめぐって(その二)- | 森本光慈 | 研究論文 | 行信学報(30) 2016 | |
転の意義(その三) -大悲心とぞ転ずなる- | 軌保真澄 | 研究論文 | 行信学報(30) 2016 | |
『正信念仏偈』における「摂取心光常照護」の譬喩についての一考察 | 米田順昭 | 研究論文 | 行信学報(30) 2016 | |
機法一体の研究 | 森慶樹 | 研究論文 | 行信学報(30) 2016 | |
親鸞における「はじめて」「もとより」考 | 武田一真 | 研究論文 | 行信学報(30) 2016 | |
伝道教学構築の可能性 | 堅田玄宥 | 研究論文 | 行信学報(30) 2016 | |
『浄土論』「願生偈」第二偈の理解をめぐって | 上野隆平 | 研究論文 | 行信学報(30) 2016 | |
第104回 専精舎本講『唯信鈔文意』 | 梯實圓 | 講述 | 行信学報(30) 2016 | |
日本人による比較宗教論 | 釈徹宗 | 学術講演 | 行信学報(29) 2015 | |
宗祖の現生正定聚説をめぐって 『教行証文類』の教理構造によって | 天岸淨圓 | 研究論文 | 行信学報(29) 2015 | |
親鸞聖人は、なぜ臨終来迎を否定したのか -平生業成と臨終来迎- | 岡本法治 | 研究論文 | 行信学報(29) 2015 | |
法本房行空上人の教学試考 -とくに寂光土義をめぐって(その一)- | 森本光慈 | 研究論文 | 行信学報(29) 2015 | |
親鸞聖人における法界身義の受容と展開 | 米田順昭 | 研究論文 | 行信学報(29) 2015 | |
「行文類」大行釈における経文引用の意図についての一考察 | 西村一樹 | 研究論文 | 行信学報(29) 2015 | |
行信論の再考 -行信一念釈をめぐって- | ウイックストローム・ダニエル | 研究論文 | 行信学報(29) 2015 | |
親鸞聖人と道元禅師の信の比較 | 湊啓翔 | 研究論文 | 行信学報(29) 2015 | |
第103回 専精舎本講『唯信鈔文意』 | 梯實圓 | 講述 | 行信学報(29) 2015 | |
『恩徳讃』考 | 山本攝叡 | 研究論文 | 行信学報(28) 2014 | |
両重因縁釈の一考察 ~「信心の業識」ということについて~ | 藤澤信照 | 研究論文 | 行信学報(28) 2014 | |
親鸞聖人の仏身仏土論の一考察(その三) | 中西昌弘 | 研究論文 | 行信学報(28) 2014 | |
『教行証文類』撰述の意図 ~三法と四法の関係を通して~ | 岡本法治 | 研究論文 | 行信学報(28) 2014 | |
法本房行空上人の教学試考 -邪義の評価と『三長記』に見られる教学の基本- | 森本光慈 | 研究論文 | 行信学報(28) 2014 | |
転の意義について(その二) | 軌保真澄 | 研究論文 | 行信学報(28) 2014 | |
浄土真宗の菩提心 | 喜多唯信 | 研究論文 | 行信学報(28) 2014 | |
大行釈の再考 -その意義と継承- | ウイックストローム・ダニエル | 研究論文 | 行信学報(28) 2014 | |
「維摩経」を読む -「不見の相によって見る」- | 桂紹隆 | 学術講演 | 行信学報(28) 2014 | |
曇鸞時代の中国の状況 -中国の常識と非常識- | 相馬一意 | 学術講演 | 行信学報(27) 2013 | |
歎異抄の功罪 | 山本攝叡 | 研究論文 | 行信学報(27) 2013 | |
第十七願建立の行ということについて | 藤澤信照 | 研究論文 | 行信学報(27) 2013 | |
法然聖人の深心観 | 利井唯明 | 研究論文 | 行信学報(27) 2013 | |
親鸞の名告り ~『浄土論』『論註』による、大悲往還の廻向の開顕~ | 岡本法治 | 研究論文 | 行信学報(27) 2013 | |
親鸞聖人における龍樹初祖の意義 | 森本光慈 | 研究論文 | 行信学報(27) 2013 | |
親鸞聖人和讃左訓の基礎的研究 | 江波信証 | 研究論文 | 行信学報(27) 2013 | |
宋代浄土教の特色 | 福島光哉 | 学術講演 | 行信学報(26) 2012 | |
親鸞聖人における三時思想の展開について(一) | 天岸淨圓 | 研究論文 | 行信学報(26) 2012 | |
聖教読解の諸問題 | 山本攝叡 | 研究論文 | 行信学報(26) 2012 | |
『愚禿鈔』における「前念命終」「後念即生」の意義について | 藤澤信照 | 研究論文 | 行信学報(26) 2012 | |
親鸞聖人の仏身仏土論の一考察(その二) | 中西昌弘 | 研究論文 | 行信学報(26) 2012 | |
親鸞聖人と「善信」 | 森本光慈 | 研究論文 | 行信学報(26) 2012 | |
転の意義について | 軌保真澄 | 研究論文 | 行信学報(26) 2012 | |
二河白道の研究 | 森慶樹 | 研究論文 | 行信学報(26) 2012 | |
中道としての仏道 | 内藤昭文 | 学術講演 | 行信学報(25) 2011 | |
『歓喜』と『慶喜』 | 山本攝叡 | 研究論文 | 行信学報(25) 2011 | |
三願転入についての再考察 | 藤澤信照 | 研究論文 | 行信学報(25) 2011 | |
親鸞聖人の仏身仏土論の一考察 | 中西昌弘 | 研究論文 | 行信学報(25) 2011 | |
親鸞聖人と安楽房遵西上人 -古田武彦氏への疑問- | 森本光慈 | 研究論文 | 行信学報(25) 2011 | |
絶対釈の考察 | 山上正尊 | 研究論文 | 行信学報(25) 2011 | |
真宗教学における不二而二 -真言密教との対比を視座として- | 武田一真 | 研究論文 | 行信学報(25) 2011 | |
『往生礼讃』における起行についての一考察 | 米田順昭 | 研究論文 | 行信学報(25) 2011 | |
存覚『六要鈔』の証果論 | 藤末光紹 | 研究論文 | 行信学報(25) 2011 | |
三願転入についての一考察 | 藤澤信照 | 研究論文 | 行信学報(24) 2010 | |
源信僧都の仏身仏土論の一考察 | 中西昌弘 | 研究論文 | 行信学報(24) 2010 | |
嘉祥大師吉蔵における般若と方便 | 高岡善彦 | 研究論文 | 行信学報(24) 2010 | |
親鸞聖人の神祇観について | 喜多唯信 | 研究論文 | 行信学報(24) 2010 | |
親鸞聖人と法本房行空上人 | 森本光慈 | 研究論文 | 行信学報(24) 2010 | |
真言密教と真宗教学 -言葉の問題- | 武田一真 | 研究論文 | 行信学報(24) 2010 | |
『大乗荘厳経論』の仏徳論 -MSA.XX-XXI.43-61 (Pratisthadhikara)概観 (1)- | 上野隆平 | 研究論文 | 行信学報(24) 2010 | |
改正脳死・臓器移植法と生老病死 | 早島理 | 学術講演 | 行信学報(24) 2010 | |
浄土真宗の特質 | 高田慈昭 | 学術講演 | 行信学報(23) 2009 | |
『浄土論』における修五念門の意義とその展開 | 藤澤信照 | 研究論文 | 行信学報(23) 2009 | |
法然の仏身仏土論 | 中西昌弘 | 研究論文 | 行信学報(23) 2009 | |
親鸞聖人における信心観の一考察 -金剛心と善鸞事件を通して- | 森本光慈 | 研究論文 | 行信学報(23) 2009 | |
親鸞聖人門弟の筆跡研究 -特に真仏上人と覚信房の筆跡について- | 佐々木覚爾 | 研究論文 | 行信学報(23) 2009 | |
親鸞聖人の第十七願観 -展開の一考察- | 濱畑慧僚 | 研究論文 | 行信学報(23) 2009 | |
真言密教と真宗教学 -機と法の問題(1)- | 武田一真 | 研究論文 | 行信学報(23) 2009 | |
真宗全史私考 | 金龍静 | 学術講演 | 行信学報(22) 2008 | |
親鸞聖人の仏性論導入の意図について -『唯信鈔文意』の「極楽無為涅槃界」の句を中心に- | 天岸浄圓 | 研究論文 | 行信学報(22) 2008 | |
『入出二門偈頌』の読解をめぐって | 山本攝叡 | 研究論文 | 行信学報(22) 2008 | |
二種深信の一考察 -『愚禿鈔』の文の解釈をめぐって- | 藤澤信照 | 研究論文 | 行信学報(22) 2008 | |
善導の「法界身釈」をめぐっての一考察 | 中西昌弘 | 研究論文 | 行信学報(22) 2008 | |
常行堂の宝冠阿弥陀仏像の思想的淵源について -五智宝冠の思想的意義を中心に- | 道元徹心 | 研究論文 | 行信学報(22) 2008 | |
親鸞聖人における大行観の一考察 -「大行」という語に注目して- | 森本光慈 | 研究論文 | 行信学報(22) 2008 | |
真言密教と真宗教学 -秘密と不可思議- | 武田一真 | 研究論文 | 行信学報(22) 2008 | |
親鸞聖人における天台用語の依用について -なぜ『本典』中に『法華経』の引用がないかをめぐって- | 淺田正博 | 学術講演 | 行信学報(21) 2007 | |
頓成述『二種深信正因義』について | 山本攝叡 | 研究論文 | 行信学報(21) 2007 | |
二種深信と仏性について | 藤澤信照 | 研究論文 | 行信学報(21) 2007 | |
懐感の阿弥陀仏浄土観について | 中西昌弘 | 研究論文 | 行信学報(21) 2007 | |
法然における深心釈の一考察(三) -立信釈の分科について- | 利井唯明 | 研究論文 | 行信学報(21) 2007 | |
理想としての救済 -鎌倉期における非人(病者)救済をめぐって- | 長崎陽子 | 研究論文 | 行信学報(21) 2007 | |
親鸞聖人における真実教の意義 | 森本光慈 | 研究論文 | 行信学報(21) 2007 | |
『讃岐国法敵惑乱之次第』について | 大原誠 | 史料紹介 | 行信学報(21) 2007 | |
一乗海義 | 遠藤秀善 | 講述 | 行信学報(21) 2007 | |
日本の宗教的風土と「親鸞伝絵」 | 寺川幽芳 | 学術講演 | 行信学報(20) 2006 | |
「愚禿鈔」の深信釈をめぐって | 山本攝叡 | 研究論文 | 行信学報(20) 2006 | |
『浄土論』『論註』の五功徳門の解釈をめぐって | 藤澤信照 | 研究論文 | 行信学報(20) 2006 | |
迦才の浄土観について | 中西昌弘 | 研究論文 | 行信学報(20) 2006 | |
出於の一考察 | 星野親行 | 研究論文 | 行信学報(20) 2006 | |
法然における深心釈の一考察(二) -深心釈第五文・第六文の分科について- | 利井唯明 | 研究論文 | 行信学報(20) 2006 | |
十劫久遠論 | 遠藤秀善 | 講述 | 行信学報(20) 2006 | |
これからの浄土真宗 | 石田慶和 | 学術講演 | 行信学報(19) 2005 | |
鸞時代の仏身説の展開 | 相馬一意 | 研究論文 | 行信学報(19) 2005 | |
親鸞聖人における往生の意義について -特に「法性のみやこにかえる」ついて- | 藤澤信照 | 研究論文 | 行信学報(19) 2005 | |
初期真宗の本尊と銘文〔『袖日記』との関連〕 | 若林眞人 | 研究論文 | 行信学報(19) 2005 | |
ハーバード大学燕京図書館所蔵『正信偈註釈』写本について | 道元徹心 | 研究論文 | 行信学報(19) 2005 | |
世親における浄土の問題 -十八円満と三厳二十九種功徳との比較を通して- | 安達高潤 | 研究論文 | 行信学報(19) 2005 | |
法然における深心釈の一考察(一) -二種深信の分科について- | 利井唯明 | 研究論文 | 行信学報(19) 2005 | |
親鸞聖人における宿縁の意義 | 森本光慈 | 研究論文 | 行信学報(19) 2005 | |
親鸞聖人の末法観 | 千葉考史 | 研究論文 | 行信学報(19) 2005 | |
親鸞聖人の悪機救済論 | 騰瑞夢 | 遺稿 | 行信学報(19) 2005 | |
『教行証文類』と『六要鈔』(第3回) | 梯實圓 | 講読 | 行信学報(19) 2005 | |
『選択集』と『教行信証』 -基本的問題の継承と展開- | 浅井成海 | 学術講演 | 行信学報(18) 2004 | |
恵信尼文書の宗教思想 -「まはさてあらん」の解釈をめぐって- | 山本攝叡 | 研究論文 | 行信学報(18) 2004 | |
存覚上人『袖日記』による門徒系譜について | 若林眞人 | 研究論文 | 行信学報(18) 2004 | |
他力回向のの行の意義について(その二) -天台本覚思想の影響についての一考察- | 藤澤信照 | 研究論文 | 行信学報(18) 2004 | |
仏身・仏土論の一考察(その三) -道綽の仏身仏土論- | 中西昌弘 | 研究論文 | 行信学報(18) 2004 | |
『摂大乗論』における仏身の性格と構造 -さとりにおける利他行のあり方を中心に- | 安達高潤 | 研究論文 | 行信学報(18) 2004 | |
「念仏の行者」をめぐって -宗祖の念佛観- | 星野親行 | 研究論文 | 行信学報(18) 2004 | |
真宗佛身観における久遠の意義 | 岡村謙英 | 研究論文 | 行信学報(18) 2004 | |
法然の信心観 -至誠心釈の諸問題について- | 利井唯明 | 研究論文 | 行信学報(18) 2004 | |
悪人救済(5) -相承の悪機救済論- | 騰瑞夢 | 遺稿 | 行信学報(18) 2004 | |
『教行証文類』と『六要鈔』(第二回) | 梯實圓 | 講読 | 行信学報(18) 2004 | |
『教行証文類』と『六要鈔』(第一回) | 梯實圓 | 研究論文 | 行信学報(17) 2003 | |
阿闍世王救済の因縁 | 騰瑞夢 | 研究論文 | 行信学報(17) 2003 | |
親鸞聖人の証果論の特色 | 天岸浄圓 | 研究論文 | 行信学報(17) 2003 | |
行信両一念再考 | 山本攝叡 | 研究論文 | 行信学報(17) 2003 | |
他力回向の行の意義について(その一) | 藤澤 信照 | 研究論文 | 行信学報(17) 2003 | |
『観心略要集』撰述者の再検討 -Nグラムの研究方法を通して- | 道元徹心 | 研究論文 | 行信学報(17) 2003 | |
仏身・仏土論についての一考察(その二) -曇鸞・迦才・慈恩・懐感の仏身仏土論- | 中西昌弘 | 研究論文 | 行信学報(17) 2003 | |
『歎異抄』第四章の背景 | 霊山勝海 | 学術講演 | 行信学報(17) 2003 | |
親鸞聖人の経典観(その2) -廃立から隠顕へ- | 梯實圓 | 研究論文 | 行信学報(16) 2002 | |
親鸞聖人の往生義 -とくに三往生について- | 高田慈昭 | 研究論文 | 行信学報(16) 2002 | |
悪人救済(3) | 騰瑞夢 | 研究論文 | 行信学報(16) 2002 | |
摂州十三日講への「御裁断書」下付の経緯とその波紋 | 平田厚志 | 研究論文 | 行信学報(16) 2002 | |
信一念義 -略文類の「乃至一念」釈をめぐって- | 山本攝叡 | 研究論文 | 行信学報(16) 2002 | |
浄土の救済論的意義(その三) -親鸞聖人の浄土観の特徴- | 藤澤信照 | 研究論文 | 行信学報(16) 2002 | |
存覚上人『袖日記』について | 若林眞人 | 研究論文 | 行信学報(16) 2002 | |
仏身・仏土論についての一考察(その一) -浄影・天台・嘉祥の仏身仏土論- | 中西昌弘 | 研究論文 | 行信学報(16) 2002 | |
仏典翻訳に学ぶ | 徳永道雄 | 学術講演 | 行信学報(16) 2002 | |
親鸞聖人の経典観(その一) -廃立から隠顕へ- | 梯實圓 | 研究論文 | 行信学報(15) 2001 | |
証空の一乗思想 | 高田慈昭 | 研究論文 | 行信学報(15) 2001 | |
悪人救済(2) | 騰瑞夢 | 研究論文 | 行信学報(15) 2001 | |
恵信尼文書の本文(二) | 山本攝 | 研究論文 | 行信学報(15) 2001 | |
浄土の救済論的意義(その二) -『浄土論』『論註』における浄土願生の意義- | 藤澤信照 | 研究論文 | 行信学報(15) 2001 | |
『親鸞伝絵』信行両座段について | 若林眞人 | 研究論文 | 行信学報(15) 2001 | |
親鸞聖人の弥勒菩薩観 | 星野親行 | 研究論文 | 行信学報(15) 2001 | |
本願力廻向の開顕(その二) -三一問答の背景- | 岡本法治 | 研究論文 | 行信学報(15) 2001 | |
宗祖の書体(スタイル)とその精神性 | 藻塩芳昭 | 研究論文 | 行信学報(15) 2001 | |
素顔の親鸞を求めて | 平松令三 | 学術講演 | 行信学報(15) 2001 | |
自然の法義について -『獲得名号自然法爾御書』の考察(その3)- | 梯實圓 | 研究論文 | 行信学報(14) 2000 | |
法然門下の一乗思想 | 高田慈昭 | 研究論文 | 行信学報(14) 2000 | |
悪人救済(1) | 騰瑞夢 | 研究論文 | 行信学報(14) 2000 | |
鎌倉新仏教の歴史的意義 | 高橋事久 | 研究論文 | 行信学報(14) 2000 | |
高僧伝等における四論の研究者(2) | 相馬一意 | 研究論文 | 行信学報(14) 2000 | |
元高化風の問題点 | 天岸浄圓 | 研究論文 | 行信学報(14) 2000 | |
無我説と業論(一) -時間の問題を視点として- | 内藤昭文 | 研究論文 | 行信学報(14) 2000 | |
浄土真宗伝承の五会念仏作法の検討 | 道元徹心 | 研究論文 | 行信学報(14) 2000 | |
浄土の救済論的意義(その一) -『大経』四十八願について- | 藤澤信照 | 研究論文 | 行信学報(14) 2000 | |
恵信尼文書の本文 | 山本攝 | 研究論文 | 行信学報(14) 2000 | |
覚如上人の著述の視点 | 若林眞人 | 研究論文 | 行信学報(14) 2000 | |
善導・法然の助正論の一考察 | 中西昌弘 | 研究論文 | 行信学報(14) 2000 | |
九條武子さんの詩歌と回心 | 籠谷眞智子 | 学術講演 | 行信学報(14) 2000 | |
「獲得名号自然法爾」の字訓 -「獲得名号自然法爾御書」の考察(その2)- | 梯實圓 | 研究論文 | *行信学報(13) 1999 | |
源信僧都の浄土教 | 高田慈昭 | 研究論文 | *行信学報(13) 1999 | |
真宗仏性論私察(8) | 騰瑞夢 | 研究論文 | *行信学報(13) 1999 | |
高僧伝等における四論の研究者 | 相馬一意 | 研究論文 | *行信学報(13) 1999 | |
恵信尼文書の構成 | 山本攝 | 研究論文 | *行信学報(13) 1999 | |
無我説と倫理 -仏教倫理に関する一視点(試論)- | 内藤昭文 | 研究論文 | *行信学報(13) 1999 | |
如来回向の信心 -特に仏性について- | 藤澤信照 | 研究論文 | *行信学報(13) 1999 | |
親鸞はなぜ本願成就文を「至心に回向せしめたまへり」と読んだのか | 岡本法治 | 研究論文 | *行信学報(13) 1999 | |
宗祖の用語例 -「値」と「遇」- | 星野親行 | 研究論文 | *行信学報(13) 1999 | |
三従考および御文章編纂史考 | 金龍静 | 学術講演 | *行信学報(13) 1999 | |
親鸞聖人の他力観 -他利利他の深義をめぐって- | 梯實圓 | 研究論文 | 行信学報(12) 1998 | |
親鸞聖人の一乗釈義 | 高田慈昭 | 研究論文 | 行信学報(12) 1998 | |
真宗仏性論私察(7) | 騰瑞夢 | 研究論文 | 行信学報(12) 1998 | |
曇鸞と称名思想(2) -道教における名重視の観念- | 相馬一意 | 研究論文 | 行信学報(12) 1998 | |
『玄義分』「称名門」の特色と側面的意義について | 天岸浄圓 | 研究論文 | 行信学報(12) 1998 | |
再論「恵信尼文書」 | 山本攝 | 研究論文 | 行信学報(12) 1998 | |
無我説と悪人正機 | 内藤昭文 | 研究論文 | 行信学報(12) 1998 | |
親鸞聖人における信心の救い -特に菩提心を中心に- | 藤澤信照 | 研究論文 | 行信学報(12) 1998 | |
明治初期、改暦事業の一様相 -西本願寺の文化受容の一様相- | 大喜直彦 | 研究論文 | 行信学報(12) 1998 | |
蓮如上人とその家族 | 北西弘 | 学術講演 | 行信学報(12) 1998 | |
隆寛律師と親鸞聖人 -法然教学から『教行信証』へ(その二)- | 梯實圓 | 研究論文 | 行信学報(11) 1997 | |
真宗の教判論 | 高田慈昭 | 研究論文 | 行信学報(11) 1997 | |
真宗仏性論私察(6) | 騰瑞夢 | 研究論文 | 行信学報(11) 1997 | |
「蓮如上人御一代記聞書」解釈の諸問題 -(「疑い」と「なげき」)- | 山本攝 | 研究論文 | 行信学報(11) 1997 | |
流布語としての「我」 -無我説の一断面- | 内藤昭文 | 研究論文 | 行信学報(11) 1997 | |
永遠の救いと今 -親鸞聖人の行信論を通して- | 藤澤信照 | 研究論文 | 行信学報(11) 1997 | |
見直す・蓮如研究の視点 | 大喜直彦 | 研究論文 | 行信学報(11) 1997 | |
坂東本『正信偈』の推敲跡をめぐって | 若林眞人 | 研究論文 | 行信学報(11) 1997 | |
別時意会通の展開についての一考察 | 中西昌弘 | 研究論文 | 行信学報(11) 1997 | |
晩年の蓮如上人の思想・信仰と妙好人の形成 | 源了圓 | 学術講演 | 行信学報(11) 1997 | |
法然教学と『教行証文類』(その一) | 梯實圓 | 研究論文 | 行信学報(10) 1996 | |
聖道権実論について | 高田慈昭 | 研究論文 | 行信学報(10) 1996 | |
真宗仏性論私察(5) | 騰瑞夢 | 研究論文 | 行信学報(10) 1996 | |
真宗における出世本懐について -特に親鸞聖人を中心に- | 天岸浄圓 | 研究論文 | 行信学報(10) 1996 | |
五台山近辺の道教的雰囲気 -六世紀初頭の北魏仏教の一面- | 相馬一意 | 研究論文 | 行信学報(10) 1996 | |
恵信尼文書再読 | 山本攝 | 研究論文 | 行信学報(10) 1996 | |
「通途」と「別途」について | 内藤昭文 | 研究論文 | 行信学報(10) 1996 | |
即得往生と現生正定聚 | 藤澤信照 | 研究論文 | 行信学報(10) 1996 | |
善導による慧遠浄土教の受容と展開 | 殿内恒 | 研究論文 | 行信学報(10) 1996 | |
蓮師の称名報恩義 | 岡村謙英 | 研究論文 | 行信学報(10) 1996 | |
親鸞聖人の菩提心論 | 星野親行 | 研究論文 | 行信学報(10) 1996 | |
本願海に浮かぶ私のいのち -自然法爾について- | 大峯顕 | 学術講演 | 行信学報(10) 1996 | |
親鸞聖人の阿弥陀仏観の一考察 | 梯實圓 | 研究論文 | 行信学報(9) 1995 | |
親鸞聖人の中国浄土教の受容 | 高田慈昭 | 研究論文 | 行信学報(9) 1995 | |
真宗仏性論私察(4) | 騰瑞夢 | 研究論文 | 行信学報(9) 1995 | |
善導大師の観仏の意義 -『観経疏』法界身釈を中心に- | 天岸浄圓 | 研究論文 | 行信学報(9) 1995 | |
論註以前の唯識典籍における仏身説 | 相馬一意 | 研究論文 | 行信学報(9) 1995 | |
三心一心についての一考察 -『論』『論註』の一心を中心に- | 藤澤信照 | 研究論文 | 行信学報(9) 1995 | |
親鸞聖人の証果論についての一考察 -「証文類」の転訓箇所を中心に- | 殿内恒 | 研究論文 | 行信学報(9) 1995 | |
蓮如上人の宿業論 | 山本攝 | 研究論文 | 行信学報(9) 1995 | |
『正像末法和讃』の成立について | 常磐井和子 | 記念講演 | 行信学報(9) 1995 | |
『改邪鈔』と存覚上人 | 梯實圓 | 研究論文 | 行信学報(8) 1994 | |
法然上人と一乗思想 | 高田慈昭 | 研究論文 | 行信学報(8) 1994 | |
真宗仏性論私察(3) | 騰瑞夢 | 研究論文 | 行信学報(8) 1994 | |
善導における『観経』見仏思想の展開について | 天岸浄圓 | 研究論文 | 行信学報(8) 1994 | |
往生論註(下巻)研究の問題点 | 相馬一意 | 研究論文 | 行信学報(8) 1994 | |
親鸞聖人の方便観について -要真二門の釈意- | 藤澤信照 | 研究論文 | 行信学報(8) 1994 | |
諸伝記等にみる道綽禅師 | 殿内恒 | 研究論文 | 行信学報(8) 1994 | |
蓮如上人の六字釈 | 山本攝 | 研究論文 | 行信学報(8) 1994 | |
親鸞聖人と浄土 | 山折哲雄 | 記念講演 | 行信学報(8) 1994 | |
善導大師の行業論 | 梯實圓 | 研究論文 | 行信学報(7) 1993 | |
善導教学における一乗思想 | 高田慈昭 | 研究論文 | 行信学報(7) 1993 | |
真宗仏性論私察(2) | 騰瑞夢 | 研究論文 | 行信学報(7) 1993 | |
善導浄土教における『大観二経』の交際について | 天岸浄圓 | 研究論文 | 行信学報(7) 1993 | |
善導大師「五部九巻」の刊行 | 相馬一意 | 研究論文 | 行信学報(7) 1993 | |
善導大師の三心釈 | 藤澤信照 | 研究論文 | 行信学報(7) 1993 | |
中国浄土三祖における本願観の変遷 | 殿内恒 | 研究論文 | 行信学報(7) 1993 | |
善導大師要弘二門の展開について | 中西昌弘 | 研究論文 | 行信学報(7) 1993 | |
三願真仮論の救済論的意義 | 梯實圓 | 研究論文 | 行信学報(6) 1992 | |
七祖の一乗思想 | 高田慈昭 | 研究論文 | 行信学報(6) 1992 | |
真宗仏性論私察(1) | 騰瑞夢 | 研究論文 | 行信学報(6) 1992 | |
『現世利益和讃』の考察 -その撰述意図を中心に、及びその後の展開- | 天岸浄圓 | 研究論文 | 行信学報(6) 1992 | |
往生論註研究の地平 -香月院深励の切り開いたもの- | 相馬一意 | 研究論文 | 行信学報(6) 1992 | |
『観経』の三心について | 藤澤信照 | 研究論文 | 行信学報(6) 1992 | |
仏因としての信心 | 若林眞人 | 研究論文 | 行信学報(6) 1992 | |
曇鸞教学の成立について | 殿内恒 | 研究論文 | 行信学報(6) 1992 | |
真宗に於ける他力教義の根拠 | 中村顕真 | 研究論文 | *行信学報(5) 1961 | |
助正論の側面的考察 | 山本仏骨 | 研究論文 | *行信学報(5) 1961 | |
悪人正機の考察 | 三田秀道 | 研究論文 | *行信学報(5) 1961 | |
法然上人の三心釈義 | 梯實圓 | 研究論文 | *行信学報(5) 1961 | |
念観両宗と宗祖の隠顕釈 | 高田慈昭 | 研究論文 | *行信学報(5) 1961 | |
佛性論序説 | 遠藤秀善 | 研究論文 | *行信学報(4) 1959 | |
聖覚、隆寛、親鸞の交渉面-元高化風論の側面的考察- | 山本佛骨 | 研究論文 | *行信学報(4) 1959 | |
法然教學に於ける助正論 | 三田秀道 | 研究論文 | *行信学報(4) 1959 | |
善導大師の人間観 | 梯實圓 | 研究論文 | *行信学報(4) 1959 | |
行信分義論 | 多田蓮識 | 研究論文 | *行信学報(3) 1953 | |
助正論に就いて | 遠藤秀善 | 研究論文 | *行信学報(3) 1953 | |
定散二善より念仏えの展開 | 三田秀道 | 研究論文 | *行信学報(3) 1953 | |
安楽集の教学的課題 | 山本佛骨 | 研究論文 | *行信学報(3) 1953 | |
行信論序説 | 遠藤秀善 | 研究論文 | *行信学報(3) 1953 | |
アウグスチンの世界 | 井上智勇 | 研究論文 | *行信学報(2) 1952 | |
眞宗の論理 | 山本佛骨 | 研究論文 | *行信学報(2) 1952 | |
撰擇集の反響 | 三田秀道 | 研究論文 | *行信学報(2) 1952 | |
行信論序説 | 遠藤秀善 | 研究論文 | *行信学報(1) 1951 | |
真宗の眞実性 | 山本佛骨 | 研究論文 | *行信学報(1) 1951 | |
法然上人の他力念仏 | 三田秀道 | 研究論文 | *行信学報(1) 1951 | |
アウグスチンとその神の概念 | 井上智勇 | 研究論文 | *行信学報(1) 1951 | |