法話紹介
巻頭言
專精 專精院鮮妙筆
一味子
「唯当時ハ、安心ノコトヲ色々弁ズルバカリニテ 他力ノ信心ヲウルコトハ ソコノケニナリテア リ 実ニ慨歎スベキコトナリ」(香月院深励「浄土和讃己未記」)
「このごろ信心のことをあれこれ論じる人は多いけれども、自分が信心を得るということはい ったいどうなってしまったのであろうか。まことに嘆かわしいことである」というほどの意味である。
先哲方の講録は決して無味乾燥なものでなく、随所にその味わいが散りばめられていて、身の引き締められるような思いをさせられることが多い。
宗祖の言われる、「もっぱらこのみ」て「専精」に我々が学ぶ目的も、ただこのことにつきている。
己未「つちのとひつじ」は寛政十一年、西暦一七九九年、今からほぼ二百年前である。右の言葉に恥じない宗門人が、今、はたして何人いるのであろうか。
【No.670〈1998年 冬の号〉】